僕の名前は、ピックです。
よくピッグと間違われます。
自分で言うのもなんなんですが、とてもかわいい子豚です(みんなが、いつもそう言ってくれます)。この農園の、みんなの人気者です。
実は、この世の中には、豚さんはたくさんいるらしいのですが、僕は他の豚を見たことは一度もありません。なぜって、この農学校には、豚は僕しかいないからです。みんなの話では、赤ちゃんの頃、となり村の牧場からやってきたそうです。
子供(生徒)に、「お母さんは、どこにいるの」と、聞かれたことがあります。僕は、「いません」と答えました。それ以上、答えようがありませんでした。
春になると、満開の桜が、とてもきれいです。空は、青く晴れ渡っていました。僕は大きく深呼吸しました。
僕は、本当のしあわせ者だ。
食べて寝る、寝ては食べる、ごろごろしていて、怒られたことは一度もありません。
時々、申し訳なく思います。
ここには、約46名の子供たちがいます。6歳から12歳まで、みんな本当に優しくて親切です。時々、僕の体を、やさしくなでてくれます。鼻水を垂らしていたら、カゼをひいたのかな、と、すごく心配してくれました。
今の体重は、45キロです。みんなが僕の健康のことをいつも気にかけてくれています。まあ、この農学校のたった一人の豚だからと思います。
僕の一番の理解者は、やはり校長先生の「ヤマダ」さんです。そして僕の健康管理は、教務主任の「キムラ」さんです。そして、いつも、いつも、毎日、毎日、欠かさず、一日3回、おいしいお食事を持ってきてくれるのが、お食事係の「ミタ」さんです。
ミタさんは、たくさんのおイモやリンゴや、またみんなが「ザンパン」と言っている混ぜご飯のようなものをくれます。ほめてもらえるように、なんでもかんでも、どんどん食べました。ある時、異臭を放つ腐ったリンゴをたべて、生まれて初めて下痢をしました。わざわざ、となり村から、お医者さまを呼んできて診察していただきました。お薬をいただきました。その時、僕は、みんなに大切にされ、本当に愛されているのだと思いました。
秋の終わりには、子供たちは、樫の木のたくさんの「どんぐり」を代わる代わるもってきてくれました。食べてみました。ガリっとして意外と美味(びみ)でした。
ある日、ミタさんは、これが僕が自宅で朝食に食べているものだと、わざわざ持って来てくれました。味わうようにゆっくりと食べました。僕の大好物のトウモロコシ入りの「ポテトサラダ」。もう、両ほほから「よだれ」がいっぱい出るほどおいしいかった。人間さまは、こんなうまいものをいつも食べているのかと思うと、少しうらやましく思いました。
そうだ、ここで、一番、一番、大切なことを言い忘れていました。
これは、校長先生から、絶対に、絶対に、硬く、硬く、口止めされていることです。実は、僕が生まれてから6か月たった頃、校長先生には、本当にいつもお世話になっているので「ありがとう」と言いました。突然、口から出てきた言葉です。なぜ出てきたか、自分でもよく分かりません。気が付いたらそう言っていました。
校長、キムラさん、ミタさんの3人が、びっくりして、すぐさま、僕を取り囲みました。いっぱい質問を受けました。
3人が言うには、僕は「しゃべれる豚」だそうです。しかも「知恵」と言うものがあるらしい。校長先生は、「困った、困った」と頭を抱えて教室の床にうずくまってしまいました。
みんなが言うには、僕は「動物」という生きものらしい。そして、みんなは「人間」という生きものらしい。「しゃべるのは人間だけ、豚は、本当は喋ってはいけないらしい」
このことは、今ここにいる4人だけのヒミツだよ、他の先生にも、「ブーブー」だよ、子供たちにも、今まで通り「ブーブー」だよと念を押されました。「そうでないと、大変厄介なことになるからね」と言われました。僕は、「ブー」と言いました。まあ、ブーブーは、僕のお家芸だからね、まったく苦にはなりません。時々「ブーブーブブブ、ブブブ、ブブ」とわざと変な抑揚をつけて、子供たちを大笑いさせています。僕は、子供たちを笑わせるのが得意です。
校長先生は、人間は、動物よりはるかに偉いんだよと説明してくれました。また、「人間には、絶対に逆らってはいけない、どんなことがあっても言われた通りにしなければいけません」と言われました。僕は「ハイ」と答えました。すぐ「ブー」と言い直しました。
僕は、この農学校から、50mぐらい離れた巨大な樫の木の下の、2メートル四方の四角い囲い(鉄格子)の中にいつもひとりでいます。
子供たちは時々、監獄(かんごく)といっております。きっと、いい言葉ではないのでしょう、なぜならそのあと決まって、顔を見合わせてクスクスと笑っているからです。
この世界が、僕の世界です。すばらしい世界です。それ以外の世界のことは、僕は知りません。
最近、ちょっと狭くなったように感じました。ミタさんは、僕が、食べ散らかし、何もしない超グータラなのを知っていて、朝一番に来て、お部屋をいつも隅々まできれいにしてくれます。ありがたいことです。
でも、一言だけ言うと、これは最近、「知恵」なるものが益々付いたせいかもしれませんが、人間さまは、いいなあと思うことがよくあります。いつでも、どこでも好きなところへ行けるからです。僕は勝手に動くことはできません。校長先生は、「人間」と言うときには、呼び捨てはダメです。「さま」をつけなさい、と言われています。
朝、昼、晩、三食お昼寝つきで、狭いながらも雨露をしのぐお家があり、毎日おいしいものをお腹いっぱい食べさせていただいて、人間さまは「お仕事」なるものをしないと食べられないそうなので、贅沢は言えません。もう、本当に感謝です。
いつも寝てばかりですから、最近かなり太り気味です。
でも、どうも、みんなは、僕が大きくなることが、たいへん楽しみのようです、なぜか、それが生きがいのように見えます。不思議です。とても不思議です。
最近、こんなことがありました。主任のキムラさんは、健康のためには多少の運動も必要だと言っています。唯一、午後の一時間、広い農場で、僕は子供たちと、ふざけ合いながらブーブーブーと追いかけっこをしています。ほんとうに楽しい時間です。
10月中旬、かなり寒い日でした。超、汗っかきの太りすぎの僕には、ちょうどいい寒さでした。いつにもまして、子供たちと鬼ごっこをして、農園内をめいっぱい走り回りました。楽しかったけど、かなり疲れました。終わったころ、突然、主任のキムラさんがやってきました。僕の体を、三か所ほどさすっては押して、「走り過ぎも、健康には良くないよ、お肉がだいぶ固くなっているね」と言われました。
心配してくれて・・・でも、その時、その言葉の本当の意味を、僕は分かりませんでした。
木枯らしが吹き、枯れ葉が舞い散る11月になりました。
毎月の、第一週の月曜日は、校長先生、主任のキムラさん、ミタさんの3人全員がそろう、「健康診断」と「体重測定」の日です。僕は、ミタさんに連れられて、1階のアルコールがツーンと鼻を突き刺すような臭いがする「理科学教室」に入りました。
3人が、僕を真剣に見つめています。
キムラさんは、僕の大きくなった体を、信じられないほど、なめるような鋭い目付きで見ていました。いつものキムラさんじゃない!おかしいと思いました。なにか身に迫る恐ろしい緊張感を感じました。
きっと、何かがある!
キムラさんは、校長に促されるように、体中をあっちこっちなで回した後、突然、何か所も思い切り叩きました。僕は「痛い」「痛い」と叫びました。
体重測定ケージに押し込められました。
「入りたくない、入りたくない、ひどい!ひどい!」と叫びました。
「お~、110キロだよ、110キロだよ!」とキムラさんは、喜びながら大声で叫びました。
そして、その後の、小さなひとり言を、僕は聞きのがしませんでした。
「うまそうだねえ~」
僕は、体全体が、激しく、痛いほど震えました。崩れ落ちそうになりました。
さらに、校長先生が、続けました。
「謝肉祭には、間に合うかな?」
「間に合いますとも」キムラさんが続けました。
3日目の午後、
大雨のため、今日の運動会は中止。子供たちは、全員、一番広い学習A教室に集まりました。僕は、なぜか、初めて「首輪」を掛けられて引っ張られて、教室に入りました。
キムラさんは、子供たちの前で言いました。
「いいご報告があります。ピック君の体重が、100キロを超えました、110キロです!」
子供たちから、大きな歓声が上がりました。みんなが立ち上がりました。
みんな拍手をしました。
「本当に、大きくなったね」
「よかったね」
「すごいね」
「もう、そろそろだね」
「でも、お別れは、さびしいね」
無邪気な笑い声が、あちらこちらで聞こえました。
僕は、その場で卒倒しました。
もう、食べたくありません。
ずっと、ずっと、食べないことに決めました。
翌日、早朝、ミタさんが、大変だ!大変だ!と叫びながら入ってきました。
「国から、新しい法律のお達しがあったんだ。動物たちを守るための「動物愛護の法」だそうだ。と殺(豚殺)のためには、「本人の承諾」がいる。つまり「とん殺承諾書」に、ブタ本人の前足の蹄(ヒヅメ)の刻印が必要になったんだよ。困ったよ、本当に困ったよ」
僕と、なにか関係がありますか。
ミタさんは、急に黙ってしまいました。
今、僕は、絶食を続けています。もう、食べる気力はありません。
でも、なぜか、頭が鮮明になっていくのを感じました。
見えないものが見えてきました。感じないものが、感じてきました。
僕は、みんなに、みんなに、だまされていたんだ!
悲しい、悲しい、悲しい、
この世界は、いったい何なんだ!!
僕は、いったい何のために、生きてきたんだ。
顔が、くしゃくしゃになり、涙が止まりませんでした。
翌日、朝いちばんで、校長先生が来ました。
「ピックくん、本当に申し訳ない。ミタくんから話は聞いたよね、
僕たちも本当に、この法律には困っているんだよ。
君には、本当に申し訳ないと思っている。
でも、仕方がないんだよ。仕方がないんだよ」
カバンを開けて、「とん殺承諾書」を僕の前足のひづめの前に置いた。
「まあ、簡単なことさ、この書類に、君のヒズメをポンと押すだけだよ、それで、すべて完了。すべてが終わる。どうということはないよ。簡単なことなんだ」
「僕を、ずっと、ずっと、だましていたんですね」
「だましてきたつもりはないよ、すべては知恵のせいだ。誰のせいでもないさ。
君だってこの一年間、おいしいものをたくさん食べて、幸せだったはずだ。きみを大きくするために、どれだけお金と労力をかけてきたことか。君には、このことだけは十分わかってもらいたいと思っている。
これが、君の運命なんだよ、ブタの運命なんだよ。これが、人間とブタの変えようもない関係なんだよ。変えようのない運命なんだよ。
知恵がなければ、何でもないことだった」
「さあ、押してくれ」「さあ、押してくれ」
「いやです!」
「いやです!」
「いやです!」
僕は、顔をくしゃくしゃにして、泣きました。
・・・・・・・
校長先生は、しばらくして立ち去りました。
僕は、一晩中考えつづけました。あらゆる「ブタの知恵」を絞って考え続けました。
みんなが、納得する一番いい方法、
みんなが、みんなが、幸せになれる一番いい方法。
一生分、考えました。
抵抗する気力が、徐々に徐々になくなっていきました。
いつの間にか、あんなに流れていた涙が、止まりました。
そして、静かな、穏やかな、鏡のような、澄み切った湖のような、透明なすきとおった雪のような心持ちになりました。
《校長先生は、大いに悩んでいました。人生で一番悩んだかもしれません。
ピック君の気持ちは痛いほど分かる、しかし、このまま食べずに死なれたらそれ以上に困る、みんなが楽しみにしている「謝肉祭(カーニバル)」は、あと5日に迫っている。
何としても明日は、刻印を押してもらわないと・・・》
翌日、早朝。校長室。
冬のきざしがせまり、淡い陽光が、窓から差し込んで、空気がキラキラ輝いています。その陽光が、静かに座っている僕を照らしている。
僕の頬は、少し光っていました。
僕には、もう涙はありません。
校長先生は、静かに、「承諾書」を目の前に置きました。
「僕は、押すことに決めました」
静かに言いました。
「これ以上、お待たせするわけにはいきません」
「子供たちを落胆させるわけにはいきません」
「謝肉祭を台無しにするわけにはいきません」
「校長先生のおっしゃっていた通り、僕の人生は、本当に幸せでした。考えれば、考えるほど、感謝しかありません。最後だけは、最後だけは、みんなに、みんなに、喜んで、喜んで、しあわせになってもらいたい」
「長い間、ほんとうにありがとうございました」
僕は、右足を伸ばして、黒い墨汁をいっぱいつけて、力いっぱいにはっきりと刻印しました。
校長先生も、キムラさんも、ミタさんも、泣いていました。
長い沈黙が、つづきました。
そして、校長先生は、
「ピックくん、本当にありがとう」と言いました。
みんなまた泣きました。
僕は、思い切って聞くことにしました。
「死ぬときは、痛くはありませんか」
「痛くはないさ、大丈夫だ、心配ないさ、あっという間だ」「ほんの一瞬さ」
「死んだら、どうなるんですか? 僕は、どんなに、どんなに、考えても、分かりませんでした」
「それは、僕も、よくわからない。でも、おそらく、静かな、静かな、何もない、苦しみも、悲しみも、まったくないところへ行くんじゃないかな」
「心配しても、仕方ないさ、みんな、みんな、死ぬのだから・・・」
「僕だって、キムラくんだって、ミタくんだって、いつかは、いつかは、死んでいく。みんなが、みんなが、死んでいく。心配することはないさ、もうこれ以上考えないことが一番だな」
いつの間にか、あたりは、凍えるような冬の帳(とばり)が迫って来ていました。
人生とは、何なのか。死とはなんなのか。
ピックくんは、校長先生の言うことを、信じるよりないと思いました・・・
☆ ☆ ☆
翌朝、ピック君は、天に召されました。
一年と6か月の短い、短い、人生でした。
でも、でも、精一杯、一生懸命に、生きました。
11月15日、謝肉祭が、始まりました。
打ち上げ花火がドーンと上がりました。
楽団の行進が、始まりました。
もう、おごちそうがいっぱいです。
何といっても、一番のごちそうは、お肉です。
テーブルは、どこもお肉がいっぱいです。
校長先生も、子供たちも大喜びです。
ぼくは、とってもうれしかった。
悲しくはなかった。
校長先生は、まちがっていたなあ。
ぼくは、こうして生きている。
こうして、上から見ると、はっきりと隅々までよく見える。
もう、そろそろ行かないといけない。急に、ガクンと僕の体は浮き上がった、
どんどん浮き上がった
天へ天へと上がっていった
なぜかすごく気持ちがいい
眼下に岩手山が見えた
見えないものまで、すべて見えてきた
すべて、すべてが見えてきた
体は突然なくなった
自分自身が光っているのが見えた。
一か月後、岩手山のふもとの高原で、
校長先生と、孫の健太の二人は、果てしなく広がる天の川銀河を見ていました。たくさんの星々が、まばゆい閃光を放っていました。
「おじいちゃん、あたらしい星が、発見されたんだよ」
「そうか」
「その星は、あれだよ!」
健太は、夜空を指さしました。
「ピック星と言うんだよ」
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