全国から頂いた温かい、そして、辛辣なる『ピック』への感想文

ピックを読んで思うこと     M.K                

何度も、繰り返し読ませていただきました。

主人公のピック君は、人間の話が聞こえて会話することができる「しゃべれる豚」で、今まで何て自分はしあわせなんだろうか、みんなに大切にされていて、本当に愛されていると思っていたところ、突然、奈落の底に落とされてしまった。

誰も信じることが出来なくなった絶望感。その豚の気持ちを思うと、しゃべることが出来、知恵もあるが故の、もの哀しさまで感じてしまいました。

ましてや自分の一番の理解者と思っていた校長先生からも、悲しいつらい言葉を聞かされてしまう。そして、すべて良質な美味しい豚に成長させるためだったことを知ることになり、「うまそうだね~」の小さなひとり言は、ブタに残酷な言葉で、どれほどの恐怖であったことかと、想像しました。

豚にとって人間の都合のいいように飼育され、承諾書にサインをすることを拒否し抵抗したら、態度が一変してしまう。非常に残酷で、こころが凍りつく思いがしました。人間のエゴを見た思いです。

自分は「何のために生きてきた」という絶望感と騙(だま)されていたという思い。

しかし、さまざまな葛藤や感情を交錯することを経て、最後は全ての人達に感謝の気持ちに到達している。

みんなが幸せになれる一番いい方法を、一生分考えたと言うところは、とても胸が熱くなりました。自分が「と殺」されるというのに、「人の幸せを考える」なんとことはできるだろうかと思ってしまった。私にはできそうもない。

そして冷静に考えて、校長先生が人生で一番悩んだかもしれないとまで、分析している。

無の境地になった時、抗(あらが)わずに、すべての運命を静かに受け入れていく。ピック君の心が静まった瞬間だったように思います。

最後は、自分の人生は本当にしあわせで、感謝しかない。みんなに喜んでしあわせになって喜んでもらいたい、短い人生精一杯だったが、一生懸命に生き抜いたという気持ちに至った。そう思うようになったピック君は、「本当にしあわせな人生」だったのではないかと感じました。

これは、私たちの人生においても、人を羨ましいと感じたり、ときに人を妬(ねた)んだり憎んだり、様々な葛藤が生じ、その中で自分を苛(さいな)むことが起こりますが、

人生の最後の場面では、ピック君のように余計なものは削ぎ落し、今までの関わりの全ての人に感謝の気持ちと、大切な人達のしあわせを願う境地になれれば、最高に自分は幸せな人生だったという思いになれるように感じました。

そして、お星さまになって、見守ることができますようにと願います。

読み終えた後に、私も宮沢賢治作品の「ブランドン農学校の豚」を読むとともに、小学校だったか国語の教科書に出てきた「よだかの星」のことを思い出しました。それは、子供ながらにも印象的で、多くのことを感じたからだと思います。

また、この手紙を書き始めて、折しも豚の心臓を人間に移植したというニュースが飛び込んできました。

私たちは日常の食生活の中で、豚や牛等々の動物のその命をいただいております。

今回の大人の童話を読ませていただき、改めてその命をいただくことへの感謝の気持ちと、また、人の生まれてきた意義ということも考えさせられました。

人間、豚、それぞれの運命で変えられないものもありますが、役割、使命というものは、「その人生をいかに生きていくか」ということになろうかと思います。

私も、残りの人生を大切に生きていかれたらと感じました。

すなおに感動する純文学      鈴木由美子                  

この物語を読み、感動しました。すばらしい。なんと純粋で、美しいお話なのでしょうか。早速、お友達にも、手渡して読んでもらいました。

「この作者は、こころの美しいかたですね。いまどき、こんな方がいるんですね」と言われました。私もそう思います。

私の感想を、直接本人にどうしても伝えたく、黄輝氏と喫茶店で待ち合わせました。「ほんとに、すばらしいです。傑作ですね。胸にあふれるような感動が押しよせてきました」と伝えました。

1時間ほどお話した後で、黄輝氏は「実は、納得がいかない人や、違和感を感じる人、色々のご意見があるんですよ」と言われました。

ええ・・・

「そんな、・・・」

私は、思わず、正直にこう言ってしまった。

「その方は、へそ曲がりですね。不幸な人です」と言ってしまった。

私は、まったく何も考えずに、黄輝さんの世界に引きこまれ、素直に感動しました。

疑念の余地などまったく持ちませんでした。

そして、最後にピックがすべてを許し、まわりの世界の全ての真実が見えてきて「お星さまになる」。思わず、お空を見上げたくなる感動的な「ラストシーン」です。

この物語は、「人間のこころの試金石」といえる本かもしれません。

あなたのこころを試す本です。

ピックに感謝           

D.K                           

スーパーに行けば当たり前のように並んでいる豚肉。

高いだ安いだ、ロースだカルビだヘルシーだと、ごちゃごちゃ言いながら食べては、美味しいねと舌鼓を打つ。

人間に食べられるために生まれ育てられ、そして殺される。

そこには人間側の都合しか存在しない。

分かっているようで分かっていない。ただただ考えないように、その現実から目を背けていただけなのだと気づかされた。

食べられる側から見た斬新な視点で描かれる本作を読んで、胸にグサリと刺さるものがあった。

しかし、我々は他者の命を頂戴しないことには生きていけないのも事実。

SNSにステーキの写真をアップして己の証人欲求を満たしている場合ではない。

ピックに感謝し、ピックに生かされていることを常に心に留めておかなければ、人々のこころは、さもしく自己中心的になる一方で、争いも環境汚染もなくならず自滅するのは目に見えていると思う。

特攻隊とピック        I.H                  

考えさせられる、これでいいのだろうかと思う。

中盤のピックが真実を知ったその習慣から、この物語は急展開する。

それは、生死の決断を迫る、すごい瞬間だ。

ピックは、だまされていた、ただ、だまされていただけではない、ずっと、ずっと、だまされ続けていた。しかも、その内容は、絶対的の逃れられない死であること。

確かにピックには知恵があった、だがもはや、抵抗すべきものが何もないのである。

拒否しても、強引に刻印されるのは明白である。

このストーリーを読んだ瞬間に、私はかつてお国のための命をささげた特攻隊のことが蘇ってきた。国民は、真実を知らされていない。校長先生は、まさに国家、絶対的立場である。その命令は絶対であり、多くの人達が、喜んで死んでいった。誰一人として、逆らうものはいなかった。

彼らは、お国のために潔く美しく死んでいった。ゆえに、天国に行ったはずだと。

これは、私の考えすぎなのでしょうか。

黄輝光一氏は、このことをまったく想定していないと思う、純粋なるこころの帰結として、ピックの選択を描いていると思う。しかし、私にはそのピックの選択に強い違和感を感じるのです。

ピックは広義の自殺なのか、純粋なる気持ちから至る自死なのか。それともそれとは、まったく無関係な崇高なる決断なのか・・・

どう考えても、腑に落ちないのです。

前作を訂正する見苦しい「ピック3」                

Y.D

ピック3、

読ませていただきました。本当に驚きました。なんだこの物語は、の心境です。

この物語は、「ピック1」に対する「もう一つの物語」として、物語が展開する。

ピック1の、私の感想は、違和感のある、全く納得がいかない内容ですが、それなりに完結した物語だと思います。

「肉体がなくなっても、魂が存続する」という、一方のテーマで、黄輝氏の意図することが読み取れる。

当然のごとくピックは、殺されて、謝肉祭で、校長先生をはじめ、キムラ主任、ミタさん、もちろん生徒たち全員が、ピックを食べた。と私は解釈しました。

と言うことは、

「肉体には、そもそも価値はなく、魂が、本体であり、その魂と言う自分自身の意識は、永遠の生命として存続する」とうテーマである。

そこには、「食べる、食べない」は、ピックの死後にあっては、もはやどうでもよい問題であると私は解釈しました。私自身が、当然のごとくにそう読み取っていました。

ところが、このピック3には、いなかったはずの健太という少年が突然に登場して、さらにおもしろい物語にしたいがために、数々のやりとりを展開し、読者を大いなる混迷に導いている。

本来の『霊主体従』の論理が、人間的世俗的、感情論(お涙頂戴的、安易なる発想)で、物語の根源の思想をぶち壊している。分かりやすく言うと、ピック1の物語を、作者自らが、訂正し、謝罪し、新たなるニセ物語を作り出し、読まれる方々を、混迷の迷路に導いているということだ。

物語おもしろくしたいがための、作家としてやってはいけない「訂正物語」だ、と言わざるをえない。

この物語を、「健太とピックの友情物語」としてとらえる方も、たくさんいると思います。また、「感動的な動物への愛の物語」としてとらえる方々に対して、私はそのことを否定するつもりはありません。

が、しかし、後出しジャンケンのごとくの物語、ピック3は、根底にある黄輝氏の根本理念を、著者自らによって、「どうでもいい物語に」修正され、訂正され、本来のあるべき真理が、感情的世俗の物語に置き換えられていることに、大いに、疑問を呈するのである。

「食べるか、食べないか」は、どうでもいい話であるということだ。

すべて、全く納得できない死生観                SS

読み進めて驚いた、ステーキ大好き人間の私を、全否定している内容だ。そもそも、ベジタリアンになりたくもないし、ビーガンに至っては、私は食物テロ集団だと考えている。「肉を食べてはいけない」それがそもそも理解不能だ。さらに、更に、ピックが人間に騙されていることを、知った時のピックのとった行動である。信じられない行動だ。黄輝氏の文章は、美しい、美しくて純粋な文章であることは、確かだ。

しかし、なにかおかしくないですか。

ピックは、しゃべれる豚、それも知恵があるという、どう見ても、5,6歳児のレベルではないです、相当な知恵者だと思われます。ならば、真実を知った時、死と言う「最大な欺き」を知った時、素直に受け入れられるはずがない、取るべき行動は、ただひとつ、逃げるか、戦うかです。もちろん戦うべきです。

その結果が悲惨なる死であってもです。それが、私の人生観、死生観であります。

欺瞞に満ち溢れた、お涙頂戴ファンタジーです。

自分の死体を見て、うれしいという、どういう神経なのでしょうか。

星になる必要はまったくありません。

自分が、本当に正しいと思うことを貫く、それが人生だと思う。

星になるとは、どういうことを言いたいのでしょうか。「校長先生は間違っていた」、否、間違っていません正解です。死んだらお終いです。チリほこりです。だからこそ、人生の意義があるのです。

どうも、黄輝さんは、自分の世界へ導こうとしているように見える。

黄輝氏は、宮沢賢治をたたえ、尊敬していると思いますが、私は、はっきり言って賢治は嫌いです。違和感だらけです。「人それぞれ人生観が違います」それは、そのとおりです。

ピックの唯一評価できるのは、「おとなの童話」ということ、それは認めます。

言いたいことはいっぱいある、「ピックをどう思いますか」という問いかけに、私は沈黙する訳にはいかないのだ。

ディズニ―とピック       S                     

もし、ピックがティズニーで映画化されたなら、大きな問題点があります。

ディズニ―映画は、基本的には子供向けの娯楽大作である。ラストは、ハッピーエンドです。

にもかかわらず、「お星さま」になるのは結構ですが、「ピックが、人間に喰われるストーリーは、まったくディズニ―的ではない、子供たちは大ブーイングだと思う、お肉になったピックを子供たちが喜んで食べる、それはありえない。これを見た子供たちは、思考混乱で、大ショックだ!」

もし、ディズニ―なら、こんなストーリーになるはずです。

校長先生と、キムラさん、ミタさんが、悩みに悩んだ末に、出した最高の結論、それは「逃がす」ことではありません。大切なピック、愛するピック、いとしいピックを生き延びさせる選択です。そのためには、いくつかのストーリーを加えなければなりません、最後のラストシーンは、圧巻です。

全校生徒の前で、校長先生とピックが、壇上に立つ、今日のカーニバルにはお肉はありません。校長先生のピックへの熱い思いの講演、さらに突然ピックが壇上にのぼり、「ピック」と叫ぶ。

そうだ、ミュージカルでも行けるね。

ただし、黄輝光一氏は、この様なストーリーをまったく望んでいないと思います。

私の読後感想は、これは哲学であると。子供向けではありません。

難解だと思います。本当に考えさせるお話です。

簡単には結論がでない崇高なお話だと思います。

感想文 ピック「人生の選択」            
T.M

以前、東京のある学校で、生徒が育てた豚さんを食す「命の授業」が話題になりましたが、

【2008年映画「ブタがいた教室」】

主演6年2組の担任 妻夫木聡

校長先生  原田美枝子

副校長   大杉連     他。

黄輝光一氏のピックは、豚さんの立場からと言うのが斬新ですね。

あと、途中でピックが「選ぶ立場」になるのが面白いです。

ピックが、蹄の刻印を押さないか。どちらを選んでも意味のある大事な人生(豚生?)だと思う。

物語では周りの人たちのために刻印を押すけど、それは本人が選んだ尊い選択だし、もしあくまで生きることを選んだなら、それもまた良い選択だったのでは。

校長先生はじめ、周りの人間たちの思いや悩み。人生は選択の連続で、選ぶときに悩んだり苦しんだり、愛する人達の心配をしたりするけど、そのすべてが人生の一部。

そうやって悩んだりするのは、自分の魂にとって自分で思っているより大事なことなのかも。そして今の人生を全うしたら、軽やかに次のステージに進むのだ。

100人の読者がいれば、それこそ色々な感想があるでしょう。

私は、ピックが「選択の自由」を与えられたことが重要なポイントだと思うので、自分で悩み考えて出した結論なら、それが本人にとって一番正しいことなのだと思いました。でも、ピックが選択したことについては、「永遠のテーマ」の一つだと思うので、賛否両論あるのはよくわかります。以前勤務していた看護学校でも、死生観やターミナルケアがテーマの講演会をよく行っていました。

自分のことだけではなく、家族や友人など、必ず向き合わなければならないことになるのが人生ですね。

ピックが私たちに教えてくれること                K.S

子供に見せてもいい本です。

ただ、その後の大人のフォローが大切です。

ピックはブタの象徴だと思います。

ピックは、こどもたちが、美味しくたべて、元気に大きくなってくれるのを願って、お星さまになった。

それが、ブタさんが選んだ道です。

ブタさんの分まで、みんなは、いつも元気で、みんなで助け合って、人のためになることをしましょう。

ピックさんは、お星さまになって、みんなを見守ってくれていますよ。

ブタさんの生き方、運命は回りから決められた感じがしますけど、ピックは、自らの道を、自ら決めました。

私たちは、動物の生命をいただいております。お食事の時は、そのことを忘れずに、ありがとうございますと、感謝をしていただきましょう。

人間もそうしたなかで、生かされている。

生きていくうえで、呼吸することもこうしていただくものすべてに感謝だということを教えてくれる。

わたしたちには、すばらしい知恵がある、この知恵をみんなのしあわせの為に使うこと。

ピックの生き方は、私たちにそれを教えてくれている。

宇宙的愛に導かれて(ピック) Nさん           

死への恐怖

生きることの不条理・切なさ

食の循環の大切さ

人間の傲慢さ、

人間が一番偉いという勘違い

贅沢を知った人間は、後へは戻れません

自分の身を最出すピックが教えてくれたのは、

宇宙のすべてに優しさと、愛をささげたら、

争いのない世界が生まれるのでしょう。

最後のピックには、泣かされました。

私ならラストは、こうなる!

              K.K

ピックを、読んでみて、同じく読んだ妻とは、大分意見が違います。

純粋なピックが余りに、かわいそうだ。かわいそすぎて、なんとかならないのかと思いました。

はっきり、言わせてもらえば、校長先生には天罰を与えるべきです。

人間さまを信頼し、校長先生を信頼して、愛されていたはずの自分が最後に、喰われてなんて、ピックは、思いもしなかったはずだ。

余りにピックがかわいそうだ。

優しいピック、健気なピック、人間さまに裏切らされた気持ちは痛いほど分かる。

まさに「ぼくを助けてくれ」の「慟哭の叫び!」が聞こえてくる。

私には、本当に耐えられない結末だ。

人を恨むことを知らない天使のようなピックだ。

感謝して、感謝して、自らの決断で、みんなのしあわせの為に、死の道を選ぶ。

そして、人間様に、喰われる。

ああ、なんたる大悲劇だ!!あってはならないことだ!

校長先生は、あんなに、かわいがっていたじゃないか。はっきり言えば、広い意味で愛する教え子であるはずだ。その教え子のピックを食べる。

なんという悪魔的なやつなんだ。

私は、絶対にこいつを許せない!絶対に許せない。書いていても腹が立つ。

ピックがお星さまになるのは、当然だ!!

だがしかし、この校長以下、キムラ、ミタもピックを喰ったのだから同罪だ。

神がいるなら、なんらかの天罰がないと道理が通らない。

私が思いついた天罰を、最後にお話ししたい。

ラストシーンだ。この極悪3人組は、天罰が下って「豚コレラ」で死にました。

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