治田邦宏
私は、「ピック」の原稿を通読し、正直当初は混乱と混沌で戸惑いました。
童話は、抽象画を眺めているように読者の、思想・職業・読んでいる際の心境・人生観さえ、読後感に反映されるものです。
この作品も例外ではなく、動物愛護、「命を食する」人間の強欲、復活、死生観、霊主体従など、作品が多様に解釈され、私は、混乱混沌としたのです。
しかし、この作品が、宮沢賢治著「ブランドル農学校の豚」をオマージュし、改編(REWRITE)したものであり、実際、賢治の原作品を読むことで、「ピック」が何を意図して改編されたか、自分なりに納得することが出来、どうにか混乱と混沌から、解脱することができたのです。
私は、「ピック」は一つの問題が提起されていると思っています。一つは「フランドン農学校の豚」に、欠落している豚の「死」にまつわる死生観、すなわち死後の「霊的復活」の問題です。二つは、賢治の作品には稀有な「冷酷」の問題です。
ここで「冷徹と冷酷」を取り違えてはなりません。賢治は科学者として、冷酷なのではなく冷徹なのです。私は「ブランドン農学校の豚」は、菜食主義者であった賢治が、豚を擬人化したことで人間の強欲を「告発した作品」であると考えています。
それは「残酷」と酷評されるほど「冷徹」であるがゆえに、動物の「死」のリアリズム性が読む者に発現され、そこにこそ賢治の動物への共感と憤怒が反映されているのです。
現在、動物虐待は「犯罪」として法的には懲罰の対象となっています。「フランドン農学校の豚」は1934年に出版されたものであり、凡そ100年も前に、動物への虐待を告発している、賢治の先見性と、万物を包括した「宇宙愛」に驚嘆させられるのです。
結論的には、これまで言及したように賢治の作品は、「動物の命」を食する人間の強欲が告発されており、他方「ピック」は賢治の作品に言及されていない、死後の霊的復活が、著されていて賢治の作品を補強されているのですが、私は仮定として、賢治の作品にピックの霊的復活のテーマが挿入されたならば、作品に、現実と非現実との二つの大きなテーマが挿入され、錯綜(さくそう)することになるばかりか、死しても救われるという「現実逃避」の安易な思想を敷衍することになるのではないかと考えています。